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ルーのこころ

 食事の待遇を改善するだけでは、十分ではありませんでした。

 ルーのこころは、既にいじけてしまっていました。離乳食を食べるようにはなりましたが、量は少な過ぎました。

 食の進まないルー、隅の方でおどおどしているルー、呼んでもなかなか来ないルー。他の3匹は呼ばれなくてもすっ飛んできて、抱っこされ、S君やR子と元気に遊び、毎日うれしそうに過ごしているのに・・・・・。

 一番強いチャーリーにはもちろん、2番手のつとむ、気の強いクーにも度々いじめられ、ナナからも時折「あっちへ行け!」と言われ(どう見てもそうとしか思えない行動をナナが取ります)、傷からは骨が見え、いつも血が滲み、常に「痛み」と付き合わなくてはなりません。自然界では、この時点で当然のごとく、仲間から外れ、死を待つ状態なのでしょう。だからルー自身も、生きていてはいけない存在と自ら察し、「食べない」という行動で、自分自身を抹殺しようとしていたのかもしれません。

 両掌に載るくらい、とても小さな命です。犬たちの自然の成り行きに任せ、その結果「死」を迎えても、誰も非難する者はいないでしょう。生まれてこなかったもの、とやり過ごすことも出来たでしょう。たかが犬です。

 生まれて間もなく、目もまだ開かない頃、仔犬4匹と一晩一緒に寝てやったことがあります。寒いので私は袢纏を着て寝ました。気がつくとルーは私の胸の上に一生懸命這い上がり、袢纏の懐に入ろうとするのです。「ルーは寄り添うのが好きなんだ。きっと甘えん坊なんだ」と、その時思いました。まだ、こころがいじけていない頃のことです。

 これまで、マイナスの刺激ばかり受けてきたルー。もしかして、プラスの刺激をたくさん与えたら、ルーのこころも変わるのではないかしら?生まれた時だって、あんなに生きる意欲に満ち溢れていたルーです。

 犬に心などあろうものか!?と疑う人もいると思います。でも、犬と一緒に暮らしていると、実に繊細に「こころ」が反応するのが分かります。

 将来ちゃんと歩けるようになるのか?傷は本当にふさがるのか?そんなことはどうでもよいことでした。今、現に、目の前に生きている命、この命が失われることが、どうしても許せませんでした。

 両掌に載る小さな命。けれど、私たち家族にとっては、とても大きな、重い命になっていました。我が子と同じくらい大切な命になっていました。「たかが犬」とはどうしても思えませんでした。

 篤志の方々のご寄付により、フォルテピアノが、西方音楽館 木洩れ陽ホールに設置されました。
 クリストファー・クラーク1994年製
(A.ヴァルター1795年モデル)
 故小島芳子愛用の名器



 





「3本足のルー」が完成しました。ルーが教えてくれたことは、「子供が育つ」ということ、さらに「人間が育つ」ということへの、励ましとヒントになりました。