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ツトムの死

 2015年1月12日朝、一生懸命立ち上がろうとしても、足がへなってツトム(我が家のボーダーコリー)が立ち上がれない。動物病院へ連れていくと、肝臓がん、しかも20センチもあり、手術はかえって危険、とのこと。散歩は禁止、安静にしないと、破裂する危険がある。しかし、破裂して死ぬ時は、出血多量で死ぬので、眠るように楽に死ねる、とのこと。
 突然の告知に、気持ちがついていけず、ツトムが死ぬことなど、私たちの前からいなくなることなど、信じられず、想像も出来なかった。
 その2週間後、1月25日の夜9時、ツトムは死んでしまった。病気の告知からわずか2週間。心の準備が出来ぬ間に、ツトムは死んだ。しかも、医者が言う「楽な死」、とは全く正反対の「壮絶な死」であった。
 一番元気だったツトム。まだ8歳。体力も充分にあったし、いたずらは留まるところを知らなかった。それが、たったの2週間で、弱り、死んでいくのである。いや、前日でさえ、まだ元気はあった。元気というものが無くなり、動きが鈍くなったのは、死の朝である。しかし、その朝も、私はツトムを庭に出し、トイレをさせている。ツトムは普通に歩き、普通にベランダを降り、また登り、家に入った。
 異変が起こったのは、昼頃。横たわってしまったのである。それから、少しずつ少しずつ、死へと近づいていった。最後の3時間が、壮絶な死との闘いであった。
 横たわり、足をばたつかせ、悲鳴を上げる。苦しさの余り舌を噛み切って、口の周りは血だらけになった。口にタオルを噛ませ、苦しむツトムに、家族が代わる代わる寄り添い、優しい言葉をかけ、体をさすり、最後の時を一緒に過ごした。安楽死をさせてあげたかったが、「楽に死ねる」との医者の言葉に、その用意はなかった。
 心臓が丈夫なツトム、心臓が先に止まってくれればよい、とどれ程願ったことか・・・・。息が苦しくなっても、心臓はしっかりと確実に脈を刻んでいた。息が止まるころ、やっと活動が緩慢となり、息が止まった後、心臓は止まった。
 我が家で生まれて、ずーっと幸せに暮らしてきたツトム。天真爛漫で、陽気で、いたずら者で、ソファーではクッション代わり、抱きまくら代わりになって、温かいふわふわ毛皮で私たちを癒してくれた。そんなツトムが、なぜ、最後にこんなに苦しまなくてはならなかったのか、ツトムが何か悪い事でもしたというのだろうか。ツトムはずっといい子で、私たち家族を幸せにしてくれていたのに、ツトムが可哀そうで可哀そうで、ツトムを思うたびに涙が溢れた。
 でも、「可哀そうなツトム」と思い続けていたのが、つい最近「ありがとうツトム」に変わったのである。
 死ぬ、ということがどれ程大変なことなのか、ツトムは身を持って私たちに示してくれたのである。人間であったなら、救急車を呼んで、病院に運び、鎮痛剤、鎮静剤などを投与され、もっと楽に死ねたことだろう。死ぬことの苦しさは、我々人間は、事故や事件や災害にでも合わない限り、知ることのできない環境にいる。生きているものが、苦しみの末に死んでいく、その有様を、ツトムは私たちに見せてくれたのである。
 ツトムが体を張って教えてくれたのだから、私は自分の死のあり様を覚悟し、その時が来るまで、坦々とやるべきことをやって生きていこうと思う。きっと、私は人間だから、万全な医療体制のもと、ツトムの苦しみよりは楽かもしれない。死を思う時、私はいつもツトムを思い、ツトムが生きられなかった分、生きてあげたいと思う。
 最後に・・・・。ツトムは苦しみの中で便をもらしたが、私は、それを「汚ない」とは思えなかった。ツトムの大切なもの、生の証だから、宝物のように、そっと両手で取り除き、お尻をきれいにふいてあげた。

 

 

 篤志の方々のご寄付により、フォルテピアノが、西方音楽館 木洩れ陽ホールに設置されました。
 クリストファー・クラーク1994年製
(A.ヴァルター1795年モデル)
 故小島芳子愛用の名器



 







「3本足のルー」が完成しました。ルーが教えてくれたことは、「子供が育つ」ということ、さらに「人間が育つ」ということへの、励ましとヒントになりました。