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マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル
2009年5月2日
マリア・ジョアン・ピリス、ピアノ・リサイタル
紀尾井ホールにて
ピリスのピアノを聴くのは久しぶりでした。
モーツアルト弾きとして、名を知られたころ、私はピリスのモーツアルトがなぜか好きになれませんでした。それで、さして期待を持たずに出かけました。
ところが、演奏が始まると、驚きに、思考が一瞬止まりました。私が知っている、以前のピリスとは別人のようでした。人は変わります。音楽もその人と共に変わります。そんな当たり前のことを、意識にのぼらせることもなく、私はピリスが嫌い、と思い続けていたのです。私が知っているピリスとはなんと30年近く前のピリスでした。
ピリスの音楽を聴いていると、生きることが音楽そのものである、というのはこういうことなのだ、と思いました。1音1音に込められた思い、音のつながりや重なりに込められた思い、すべてが生きることに直結し、また死というものに裏打ちされているように思えました。私の心は揺さぶられ、ピリスの伝えたい思いに、ひたすら心を研ぎ澄まし、一音でも聴き逃すまい、と真剣でした。
当日買ったCDの解説によれば、私がピリスを知ってまもなく、大病を患い、復帰後、音楽が変わったのだそうです。やはり、死と向かい合った後、生きることの意味を、それ以前とは別の視点で再び見出した後の音楽だったのです。大病から復帰後のその日買ったモーツアルトのCDをうちで聴きましたら、やはり私が昔知っていたピリスとはまるで違っていました。
幸福な経験も、不幸な経験も、人を変えていきます。でも人は哀れな存在で、不幸な経験に耐え、それを乗り越えた後でないと、良い方向にはなかなか変われないようです。
共演者のチェロ奏者は、ひたすらピリスに従うのみ、そんな演奏で、その点では物足りなさが残りました。ピリスの独奏がもっと聴きたい!チェロソナタではそんな思いが頭の中を絶えずよぎりました。余談ですが、「婦唱夫随、私と夫みたい!」と思って聴いていました。
ところが、アンコール、ピリスが相棒のチェロ奏者に覇権を譲ったからか、本来それだけの力を持っている人だったのかは不明ですが、フォーレの「夢のあとで」、「鳥の歌」は、思いのたけをチェロが歌い、深い感動を覚えました。
■当日のプログラムはすべてL.v.ベートーヴェン作曲
- チェロとピアノのためのソナタ第2番ト短調Op.5-2
- ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2「テンペスト」
- 創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80
- チェロとピアノのためのソナタ第3番イ長調Op.69 です。