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サントリーホールと第一生命ホール
※コンサート会場、演奏写真はイメージです
2008年11月24日
サントリーホールと第一生命ホール
コンサートのはしごをしました。
最初はサントリーホールで、「アンナ・マクダレーナが愛した夫ーJ.S.Bach」と題するオルガンレクチャーコンサートです。オルガン・チェンバロ:椎名雄一郎、お話:皆川達夫、解説・指揮:樋口隆一、に加えてアンナ・マグダレーナに扮した、あるいは仮装した!(というもの初め黄泉の国から舞い戻ったような不気味な老女の姿で登場しましたので)天羽明恵、という豪華メンバーです。
第1部がアイゼナハ、オールドルフ、リューネブルク、アルンシュタット、ミュールハウゼン時代で、この時代の傑作カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV992、バッハが強い影響を受けたブクスフーデの作品に加え、なかなか演奏を聴くチャンスの少ないこの初期の時代のコラール編曲を、原曲の演奏に続いて聴くことができました(BWV718、715、717、722)。皆川さんが突っ込み、樋口さんがそれを受け、そこにマグダレーナとのやり取りが加わり、漫才めいてそれでいて確固たる知識に基づくお話を挿みながら1曲1曲の演奏を聴くので、どの曲も興味津々で聴き入りました。
第2部はワイマール時代で、カンタータの一部(マグダレーナのソロ)、オルゲルビュッヒラインから2曲(演奏に先立ち我々聴衆もコラールを歌いました)、日本人が大好きな超有名なオルガン曲、フーガト短調と、トッカータとフーガニ短調も演奏されました。このレクチャーコンサートの最後に、皆川達夫さんが役者のように「この後のバッハの運命やいかに!」と述べて舞台上から立ち去った後、トッカータとフーガがいきなりテイラリ~テイラリラリーラ、と始まり、このオルガン曲と共にすべてが終わる、という構成で、非常に劇的な締めでした。
お話、演奏なさった皆さん、役者でした。また構成が聴き手を飽きさせることなく、興味深く、楽しく(何度笑ってしまったことか)バッハのことを知ることができるよう組まれています。皆川さんは86歳とか?でも背筋も歩き方も声の大きさも、とても高齢とは思えない若々しさで溢れていました。来年も、再来年もこの続きが計画されているようです。皆川さんが「皆さん健康には注意しましょう!」とおっしゃっていました。
サントリーホールでオルガンを聴くのは久しぶりでした。オールマイテイな種々のことに対応できるオルガンですが(オルガン愛好者にとって、これは大抵マイナスの要素です)、椎名さんの手にかかると美しく、個性的なオルガンに変身してしまい、残響も程よくあり、聴きほれてしまいました。
数年前はレクチャーの言葉が聞き取りにくく、響きの良さと言葉の聞き取りやすさとは相反するのかしら、と思っておりましたら、今回はとても聞き取りやすいので、永田穂さんに伺いましたら、スピーカーを取り替えただけ、といとも簡単におっしゃいます。狐につままれたようでした!
サントリーホールはカラヤンの構想により実現した、ステージを聴衆が取り囲む日本で最初の(世界的に見てもベルリンに次いで造られたものだそうです)サラウンド型ホールで、客席は段々畑のように並びます(ワインヤード型というそうです)。カラヤンは「このホールは音の宝石箱のようだ」と褒めてくださったそうです。音響設計は永田穂さんです。
サントリーホールを後にし、急いで向かった先は第一生命ホールです。びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演
「イギリスバロック~ふたつの愛のかたち」。ひとつめの愛のかたちはジョン・ブロウ作曲、歌劇「ヴィーナスとアドーニス」、ふたつめの愛のかたちはヘンリー・パーセル作曲、歌劇「テイドーとエネアス」、どちらも演奏会形式で、神話に基づく荒唐無稽なお話です。ひとつめは、気恥ずかしくなるような恋の話で始まり、音楽もそれに合わせて、軽すぎ!と思いましたが、終曲で死を深く悲しむ内容になりましたら、音楽も俄然がらっと深みのあるものに変わり、
これまでのすべてのことは、この終曲のためにあったのか、と妙に納得してしまいました。ふたつめは、お話も音楽も最初から死を意識したもので、また何よりもパーセルの優れた才能に起因するのでしょうが、深い悲しみを湛えた音楽を冒頭から終曲まで堪能しました。
死(また、悲しみ、苦しみ等)というものが関わらないと、音楽は様にならないのかしら・・・とも思ってしまったコンサートでした。
演奏したびわ湖ホール声楽アンサンブルは、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの創造活動の核として結成されたもので、公共ホール初の専属声楽家集団です。びわ湖ホールの主眼は舞台芸術、つまりオペラ、バレーに最適に造られた空間です。小編成のクラシックコンサートのためには小ホールがあります。水戸芸術館と同様ポリシーが明確なホールです。経営、運営は大変のようですが、明確なポリシーをもって、そこからそこ独自の音楽を(音楽集団を)育てていくという姿勢は、ホールを成功させる鍵かもしれません。