オルガンホールを夢見て
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ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影


2011年10月12日
 
ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影
紀尾井ホール
 
 4年にわたるベートーヴェンのピアノ・ソナタ連続演奏会。その最終回です。
 2年前、初めて聴いた時には、あまりにも端正で、あまりにも気品あるベートーヴェンに、驚きました。昨年、そして今回、ペーター・レーゼル体験を重ねるごとに、理解が深まったような気がします。
 ピアノ・ソナタ第2番、第31番、休憩、第1番、第32番、という初期のソナタと、最後の2つのソナタを互い違いに組み合わせたプログラムでした。
 第1番、第2番は、ベートーヴェンの本格的ピアノ・ソナタに取り組む者が初めてさらう曲として、「初心者向け」の印象が強い曲です。特に第1番はそのせいか、機械的で、がさついた音楽、そんな悪い印象が私にはあります。しかし、この2曲がペーター・レーゼルの手にかかると、軽やかに、なめらかに、美しく疾走します。いくつもの音が重なりあったフォルテは、豊かな響きの中にも芯のあるいぶし銀のような深さ。ピアノは、どこか素朴さを残しながらも、澄みきった美しさ。第2番のスケルツォがこれほど優美で軽い曲とは、初めて知りました。
 この初期のピアノ・ソナタは、次に演奏される2大曲、第31番、第32番と並んで少しも違和感なく、遜色なく、むしろベートーヴェンの後期ソナタの深遠な世界へと我々を誘うにふさわしい前奏曲、と聴こえました。
 第31番、第32番は、修行僧が脇道にそれることなく、探求し続けた境地、そんな音楽でした。色彩の美しさににゆだねない、濃淡から幽玄な世界を切り拓く水墨画のような音楽でした。あるいは濃淡の中に、すべての色彩が込められている、そんな風にも聴こえるかもしれません。聴く者に共感を促すという方向性ではなく、深く熟考し、極めた結果、自ずとレーゼルの内からこれ以外あり得ないものとして湧きおこる音楽、と思えました。高音の美しい音色は、銀の鈴でさえなく、金属感を全く感じさせない木で彫られた鈴の音の美しさ。どんなに激しい不協和な和音も、込み入ったフーガも、労作の陰など微塵も感じさせない、平安に満ちた音楽。
 どれほど激しい楽想でも、体は決して揺れません。唯一、首のみが振れます。レーゼルの身体の動きを見ていると、音楽が端正すぎるのでは?との疑いを持ってしまいがちですが、目を閉じて音楽に聴き入ると、そのダイナミックさに驚きます。レーゼルの内から湧きおこる音楽は、実は非常に激しいのです。でも、その激しさは、昇華され、得も言われぬ美しい、安らかな音楽となって溢れます。
 強靭な意志で押し進む激しさの中に、運命への決然とした肯定感が感じられ、それはこの上ないやさしさに満ちている、と思えました。御一緒した方(ピアノをお弾きになる年配の方)が、しみじみ「癒される」とおっしゃってましたが、「癒し系の音楽」の「癒される」とは、まったく次元の違う、どんな困難な人生であってもそれを良しとする確信を聴く者に抱かせる、積極的意味を持つ「癒される」音楽でした。
 第32番が終わると、会場はシーンとし、一瞬の静寂の後、拍手が沸き起こりました。 拍手は鳴りやまず、アンコールを求めんばかりでしたが、この第32番の後、一体どんなアンコール曲が可能なのか?アンコールなど必要ないではないか?との思いが私の頭をよぎりました。と、レーゼルはピアノのふたを閉め、最後に舞台へ現れると、心からの感謝の気持ちを込め、軽い会釈をし、袖に消えて行きました。
 


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フォルテ・ピアノ
 篤志の方々のご寄付により、フォルテ・ピアノが、西方音楽館 木洩れ陽ホールに設置されました。
 クリストファー・クラーク1994年製
(A.ヴァルター1795年モデル)
 故小島芳子愛用の名器

 

 
 

館長のコーナー
 

まず、西方音楽館 木洩れ陽アップルパイ を販売します。

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「3本足のルー」が完成しました。ルーが教えてくれたことは、「子供が育つ」ということ、さらに「人間が育つ」ということへの、励ましとヒントになりました。

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